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webの歴史とweb3

Akrosスクールを運営する株式会社Aプラスでは親会社の代表と取締役を交え先日新年会をした。
その中でWeb3の話題が出た。新年早々のブログ投稿であることもあり、Webの黎明期からこの業界にいる生き字引でもある私がwebの歴史を振り返ってみようと思う。

Web黎明期

そもそもweb2が登場するまではweb1とは言われていなかった。
ネットへの接続が軍や大学・研究機関だけではなく一般人に門戸を広げた時の接続方法はダイヤルアップ接続であった。

音響カプラ
※写真はダイヤルアップ接続に使用された「音響カプラ」by Wikipedia

1991年の後半にはすでにパソコン通信なるものに接続してフォーラムに参加していた記憶がある。


※画像はLAOX NET オープニングメッセージ画面 by Wikipedia

パソコン通信は特定のホストサーバーとその参加者の間だけをつなぐクローズドネットワークだ。
日本でパソコン通信ホストを運営していた団体はのちのプロバイダniftyになる「ニフティサーブ」、後のBIGLOBEとなる「PC-VAN」、朝日新聞社が作ったASAHIネットなどがあった。

googleにパソコン通信でつなぐ場合はこんな感じでつながるというのを再現したサイト。

パソコン通信には幾つものフォーラムがありそれぞれ専門的な話をしていた。
ダイヤルアップ接続は要するに電話代と同じだけのコストがかかるので中々ブラウザが登場しずらい状況だった。1993年にリリースされた最初のブラウザは欧州原子核研究機構 (CERN) が World Wide Web (WWW) の利用を解放した年である1993年に、イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA) に所属するマーク・アンドリーセンらが開発したMosaicだった。

その後、広くMacユーザーに使われたブラウザのNetscape Navigatorが登場。最初のベータ版リリースは1994年である。


※画像はネットスケープナビゲーターで表示したWikipediaのスクリーンショット by Wikipedia

当時はWindowsもまだリリースされておらず、テレホーダイもない。画像を1枚表示させるのに4時間くらいかかり、膨大な電話料金が請求されることに。
データをダウンロードしながら再生するプログレッシブダウンロードでjpg画像などを表示させた。大きなモザイクが段々きめ細かくなっていくのがJPG画像だった。

ネットが爆発的に使われるようになるのは1995年にリリースされたwindowsにInternet Explorerが抱き合わせで搭載されるようになってからである。
今話題のひろゆきが2ちゃんを開設した1999年5月から本格的にテレホーダイ期間にネットで遊ぶ人々が増え始め、昼夜が逆転してしまった人々が学校にも仕事にも行けずニートと呼ばれるようになった。
2ちゃんねるが始まる前にも、さまざまな掲示板があった。どこもパソコン通信のフォーラムと同じように、ジャンルによって板が分かれていたので、2ちゃんが開設される頃には興味のある板に人々が常駐する文化がすでに形成されていた。


※画像は「Internet ExplorerのロゴPNG!無料ダウンロードのための画像」より

Web1の終焉

そんなWeb1の時代の終焉はAjaxの開発から始まる。
1998年に設立されたgoogleが買収したWhere 2 Technologiesが後のgoogle mapとなった。google mapを皮切りにwebの世界がAjaxによって一気に様変わりした。
AjaxとはJavaScript、XMLやDOMを使い動的にページの一部だけ書き換える手法の事で、ウェブブラウザ内で非同期通信を行いながらインターフェイスの構築を行うプログラミング手法だ。
Google Web ToolkitやjQueryがAjaxの旗頭となりWeb2を牽引していた。SNSがいくつも開発され中核にある技術よりも利用者へのサービスが重視され評価経済が生まれた。リツイート、いいね!、フォロー、グッドボタンなどの数で評判が可視化され実際に利益を生むようになっていった。SNSユーザーはノーコードでコンテンツを生み出し、評価を得て利益を生む仕組みが作られていった。数年前には子供のなりたい職業1位がYoutuberになるほどだった。


※画像は「一般的なWebアプリケーション(左)とAJAX(右)の動作の違い」 by Wikipedia

Web2とWeb3は拮抗している

SNSはあるものが廃れてはまた新しいものが登場し、まだまだ衰えを見せていない中、ブロックチェーンという技術が2008年にサトシ・ナカモトという名前を使った人物あるいはグループにより開発された。ビットコインはネットワーク内で発生した取引の記録を「ブロック」と呼ばれる記録の塊に格納オープンな分散型台帳であるにもかかしない最初の暗号通貨となった。


※画像は「ビットコインのWindows用クライアント」 by Wikipedia

ブロックチェーンでやりとりする情報は「秘密鍵」と「公開鍵」で暗号化され特定の管理者に依存しておらずこれによってユーザー同士で信頼性のある取引をすることが可能になる。その技術をP2P(ピアツーピアー)という。
このような「秘密鍵」と「公開鍵」で暗号化する事により中央集権で管理する時代から分散型の資産運用が広がりつつある。資産とは通貨だけではない。多くの場合情報が最も重要な資産だ。


(C)P2P-network.svg
User:Mauro Bieg – derived from the Image:Computer n screen.svg which is under the GNU LGPL, LGPL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2551745による
User:Mauro Bieg – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2551723による

Web3時代の資産とは

時代は中央集権から分散型に移り、暗号化により分散して遍在している資産を安全に所有できる時代になってきた。その技術は暗号資産のみならず、アカシックレコードにこの世の全ての叡智が格納されているかの様に、生み出されるプログラムは全てGithubに分散化され安全に保管されている。デジタル作品をNFTにするならデジタル署名を持つため盗まれることも破損する事もなく安全に所有することができる様になった。

データは容易にコピーでき、無限増殖する事ができる。そのため著作権を守る事が大変むずかしかしかった。そこで大元のデータにデジタル署名を刻印する技術が開発された。それをNFTという。例えば、このイーロン・マスクが暗号通貨の支払いを唯一許可しているドージコインは、しば犬のかぼすちゃんのミーム(コピーで無限増殖されてしまったデジタル資産の事)を使用している。

かぼすちゃんのは世界中で愛されミームは増殖し続けるが撮影者のところには著作権使用量は一切入ってこない。そので、飼い主飼い主はかぼすちゃんの元動画をNFTにすると4.7億円で落札された。かぼすちゃんの可愛さには4.7億円の価値があったという事である。
参考記事→
ブロックチェーンゲームではNFTのキャラを使用してプレイすることができる。NFTのキャラはスペックに依存して高値で売買される。
ベトナムの開発企業SkyMavis社によって2018年にリリースされたブロックチェーン・ゲームAxie Infinityは、axie.zoneというサイトでまずキャラをイーサリアムで購入し、購入したキャラ3対で対戦バトルを勝ち進んでいくゲーム。スマホでお馴染みのデイrーミッションが用意されていて、それだけこなしていても月日本円に換算すると8万円位の収入が得られることから物価が低くて英語が理解されるフィリピンのZ世代の間で爆発的にブレイクしている。未成年のZ世代がフィリピンの平均月収4万円の2倍の収入を自宅に籠もってブロックチェーンのルーティーンをこなすだけで稼ぎ出せる時代になったのだ。

Web4?

分散型管理が進んでいけばその先にあるのは全ての中央集権が崩壊していく未来が見えてくる。手塚治虫が「火の鳥未来編」で思い描いた「マザーという名のコンピューターに支配される未来」ではなく、世界は分散化されて維持される様になるだろう。内閣府によるムーンショット目標が達成される2050年にはすでに支配という概念がなくなっていくのかもしれない。人は所有するすべての物を盗難や破損の心配から解放されて所有することができる様になるのかもしれない。その時は、通貨だけでくすべての資産はブロックチェーンの技術によりデジタル化されていることだろう。


※画像は内閣府ムーンショット目標より


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